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ここで学生時代の実体験を少々。
ある日、高校の友人から購買のおばちゃんが亡くなったとの連絡がありました。身内以外では初めてのお葬式で、あたふたと準備して出かけました。おばちゃんはクリスチャンとのことで葬儀場は教会でした。
着いてびっくり、黒山の人だかり!
確かにすごく慕われていたおばちゃんでした。しかし高校生とそのOBの携帯メールでの情報伝達網は恐らくご遺族の想定をはるかに超えていたことでしょう。教会に入りきれないくらいでしたので、既に三百人以上が参列していたのではないでしょうか。式の進行中にも仕事帰りと思しきOBOGらがさらに増え続けています。
私個人としては、おばちゃんに最後にお別れを言えてよかったと今でも思っておりますが、葬儀社に就職してからは、それでもご遺族や教会・信徒の皆様にはかなりご迷惑、ご負担だったのではないか…と振り返っています。
いったん外に知らせてしまうと、情報がどう広がっていくかはご家族の手を離れてしまいます。訃報の性質上「なるべく多くの関係者に教えてあげないと」と善意で広まりやすいことを念頭に入れねばなりません。繰り返しになりますが、知らせなくて済む範囲には知らせないこと、やむをえず知らせる場合にはきちんと参列をお断りすることが重要です。また亡くなったことは知らせても、葬儀の日程・場所は伝えないなどの工夫もできましょう。
そして、皆様にはご葬儀が終わってから死亡通知をお送りし、お知らせします。
もちろん、予想より多くの人が集まったからといってお葬式自体が失敗するとは限りません。喪主さまも「こんなに多くの生徒さんが集まってくれて、母も喜んでいると思います」と挨拶されていました。ご家族の知らないご本人の一面を教えてくれる場になったのかもしれません。ただ、想定外の事態はただでさえ大変なときにストレスを増やしかねませんので、やっぱり注意が必要です。
自分のお葬式に、誰に来てもらうか――これはいわばこれまでに築かれた『ご縁』の集大成であり、人生そのものの象徴と言えるかもしれません。ご葬儀の成否を決めるのも、実は祭壇や棺より、この「人」による部分が大きいことを学びました。